宇和島プロジェクト生産者インタビューVol.1(ストーリー・商品開発)

日本のこと

【宇和島プロジェクト】の発起人である木和田権一氏 。
愛媛県宇和島市で水産業の生産・加工・流通・販売分野で幅広くご活躍されています。今回は、宇和島プロジェクト発足のストーリーや商品開発に至るまでのプロセスをインタビューさせていただきました!

目次

宇和島プロジェクト発足までのストーリー 

愛媛県の南予と呼ばれる地方でスタートした【宇和島プロジェクト】の発起人である木和田氏。その言葉一つひとつから、地域や水産業の生産者を想う情熱が伝わってきます。また、このプロジェクトが軌道に乗るまでには、楽しさの中にも多くの苦労があったことが感じられます。

Q:宇和島プロジェクトとは?創業秘話や社名の由来を教えてください。

私は元々、宇和島漁協に所属していたんです。
16年前に遡るんですけど、自分たちで獲った養殖の魚をなるべく高く売りたいというプロジェクトが発足したんです。 
市場を見ると、販売価格に対して生産者の手取りは27%ぐらいしかなくて。 
この生産者の手取りを上げて流通を短絡化することによって、消費者に渡る価格が90〜85%ぐらいになれば素晴らしいなあということで出来たのが、社内ベンチャーとしての宇和島漁協プロジェクトです。

Q:宇和島漁協プロジェクトではどういうことをされていたのですか?

宇和島漁協から200万のお金を借りてホームページを作成したんですけど、一向に売れない。
売れたのは、アジの開きとか。
その時、ちょうど関サバとか関アジブームがあり、宇和島にもいいアジがあったので。
宇和島は、伊達政宗の長男がこちらに築城しているので、伊達アジという名前をつけて販売したり、「すくいちりめん」をホームページで販売したりして。 それでも売り上げが1年間で200万だったんです。 

Q:BtoBも上手く行かなかったようですね。そのあとどうされたのですか?

金曜日の夜の仕事終わりから土曜、日曜にかけて東京の新橋をターゲットに営業をかけました。
それでもなかなか買ってくれない。
でも「ここは売れる」、「ここは売れない」という営業のコツを掴んでいきました。
1年半後には大体8割ぐらいの商談が成立するようになって、みるみるうちに1億、2億という形に売り上げが上がってきました。
飛躍的に伸びたのが、宇和島で800tほど水揚げされている、小さな豆アジ。

Q: 豆アジがきっかけになったのですね。

それまでは養殖の餌にしていたんですけど、宇和島漁協プロジェクトが唐揚げとかアジの南蛮とかの食用に転換して、某量販店の役員試食会に出したんです。
その時に、10点満点中8.8というすごい高得点が付いて。 翌年にはその量販店に200tほど購入していただけたんです。そこから一気に広がっていったのがきっかけです。

Q: 売り上げも期待出来たのではないですか?

私もどんどん調子付いてきたんです(笑)
宇和島漁協プロジェクトの名前を使って、ベトナムで補正加工をして売ったり、百貨店と直接契約を結んだりして。

Q: 新しい取り組みをされていったのですね。

初めは、漁協には新しいことを嫌う人が多かったんです。
もし仮に失敗したら誰が責任をとるんだ!ということで…。
内緒でやって、もし失敗したとしても退職金を差し出せばいいんだという思いでやっていたんです。 でもそれも何回もバレちゃって、私を辞めさせる役員会も開かれたぐらいなんです。

Q: どうしても売りたいという熱意を感じますね。

若い生産者や漁業者の方は、私の味方だったので、上から辞めろと言われても私は一切辞めずにやり続けました。
私は結構叩かれて叩かれて…(笑)
それを見ていた今の愛媛県漁連の会長がいるんですけど、 その方に「せっかく良いことをやっているのに、足を引っ張られるんだったら、とりあえず出向して会社を起こしな。」と言われたんです。

Q: 会社を立ち上げる大きな決断をされたのですね。

当時、宇和島漁協プロジェクトは25名ほどのスタッフを雇用していまして。
ちょうどその時には「人格なき法人」として水産物の加工も行っていました。
組合長が「そこを法人としてやりな」と言ってくれたんです。 でももしダメになった場合、私だけ帰る場所があるというのは嫌だったので、退職して宇和島プロジェクトという会社を立ち上げました。 

Q:元々漁協から生まれたプロジェクトだから、そのまま宇和島プロジェクトになったのですね。

そうですね。今の県漁連の会長や浜の生産者から言われたのは、漁協とか漁連が出来ないことをやってくれと言われたのが、この宇和島プロジェクトです。

商品開発は「偶然の重なり」 

商品開発については、偶然やちょっとしたことがきっかけとなっていると語る木和田氏。
その偶然の中にも、木和田氏の経験や直感力に加え、継続的な努力や一緒にものづくりを行うスタッフとの絆が垣間見えます。

Q:ものづくりにかける想いや熱意、そのプロセスを教えてください。

ものづくりなんですが、実は、物を作ろうと思って出来た商品は1つもないんです(笑)
さっきの豆アジなんかも、単純に魚の餌ではなく食用にしてみたら?という思いつきなんです!

Q: 「みかん鯛」や「みかんブリ」もですか?

今回Northmallでも販売している商品に関しても、魚の香りを消してみかんの香りを付けたのではなくて、たまたま付いただけなんです。

Q: 偶然、誕生した商品なのですね。

愛媛なのでみかんの皮が結構余って捨てられていたんです。 ただ、みかんの皮にはポリフェノールが含まれていて、それを魚に与えることによって鮮度が長持ちするんじゃないの?ということで、試しで作った商品なんです。

Q: どのように商品化されたのですか?

愛媛県庁の水産試験場さんが、みかんブリをうちの加工場に持ってこられたんです。
それを加工場で捌いた時に、みかんの香りが充満して。
魚にみかんの香りが付くなんて、加工場からすれば「気持ち悪い魚が来た」というような感覚で(笑)
「こんな魚は売れない。」と加工場の場長から言われたのが8年ほど経った今でも、記憶にあります。 
そんな中、大手回転寿司チェーン店の社長がこのブリを食べたときに、「これは面白いから、全国の回転寿司で回して反応を見よう。」と言ってくれたのがきっかけです。

「チョコブリ」誕生にも裏話が

木和田氏より、ぜひ「チョコブリ」の話も!ということで引き続きお話をお伺いしました。

Q:「チョコブリ」の話を聞かせてください。

私が大手お菓子メーカーの社長のところに行っていた時の話です。
みかん鯛やみかんブリと同じように、「うちのチョコレートを食べさせれば、チョコの味がつくのかね?」と言われて、試してみましょうか?ということになり…。
私が帰ったと同時にそのお菓子メーカーのチョコが70kg宇和島プロジェクトに届いたんです(笑) 

Q: 大量に届きましたね。チョコレートの味は付いたんですか?

魚に食べさせて、色々と実験したんですけどチョコレートの味は付かなくて…。
その社長に魚を送って、「すみません、チョコレートの味は付きませんでした!」だったんです。 

Q: 「チョコブリ」が商品化されたきっかけは何ですか?

たまたまうちのスタッフが試食で残ったブリの半身を冷蔵庫から出し忘れていて、5日後に「社長大変です!」と言って私のところに持って来たんです。
すると、全く色が変わっていなかったんですね。 調べてみると、カカオにはワインのポリフェノールの数倍の酸化防止成分が含まれていることが分かったんです。
現在は愛媛県庁様と私たちで商標登録や特許申請をして商品化しています。

Q:今販売されているチョコブリも、カカオの味がするのではなく、長持ちするのですか? 

そうですね。かなり長持ちします。
通常は、カットして翌々日には黒っぽく変色するのですが、このチョコブリは5日程酸化が進まず、鮮度が長持ちするという商品です。

Q:チョコブリも、ぜひ販売させて頂きたいのですが、品切れ中ですか?

来年の1月後半から販売予定です。ぜひ!Northmallでも販売していただきたいですね。

ぜひよろしくお願いします!興味深いお話をありがとうございました!

インタビューVol.2では商品の魅力や今後の展望など更に詳しく伺っています。ぜひお楽しみください。

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