『わたしがフィンランドに来たきっかけ』

北欧 フィンランドからの手紙

たまに、フィンランドに住むことになったいきさつについて訊かれることがあります。そんなわけで、ここでも簡単に経緯について書いておこうと思います。

わたしとフィンランドの関係の始まりは、9歳のころ。ある日朝起きたら、泥酔から醒めたばかりのフィンランド人がうちにいました。それがすべての始まりです。

父の親友である、サンタクロースのような風貌のこの人は、カイ・ニエミネン(Kai Nieminen)氏。フィンランドの著名な詩人(YLEで半生を追ったドキュメンタリーが製作・放映されたり、独立記念日の大統領官邸のパーティー・Linnnan Juhlatに招待されたりしています)であると同時に、日本文学翻訳家・日本文化研究者で、『源氏物語』、『奥の細道』などの古典や、『こころ』『細雪』などの純文学、『キッチン』などの現代日本文学をフィンランド語に翻訳した人なのですが、うちではただの二日酔いのおじさんでした。父と朝までゴールデン街で飲んでいたようです。

言葉の才能に恵まれた繊細で美しい心を持つカイさんは、いつもとても柔らかい物腰で、ユーモアに溢れ、文学のほかに音楽(アコーディオン奏者としてCDも出している)や芸術にも造詣が深く、ムーミンの世界観をそのまま体現しているような知的かつ哲学的かつほのぼのしている人で、写真の奥に写っている、ワイフのエリナさん(Elina Sorainen氏・2017年に逝去)はフィンランドを代表する陶芸家(多摩美術大学でも教鞭を執ったことがある)で、強くて優しくて知的で芸術的な女性でした。

父に連れられてフィンランドに来るたびに、ポルヴォーのはずれにある二人の家や、そこからさらに1時間ほど車で行った、鬱蒼とした森の中にある海のそばのサマーコテージに宿泊していました。

長く続く家族ぐるみの交流によって、わたしは子どもの頃からムーミンやサルミアッキ、アラビアの食器やキシリトールに・囲まれて育ち、フィンランドは自分にとっては身近な国という存在でした。フィンランドをたびたび訪れるうちに仲の良い友達もたくさんできて、大学生と大学院生の時はフランスと日本を何度か行き来していたのですが、ついでにフィンランドに寄るうちに、フランスよりもフィンランドに強い興味を持つようになり、そのうちに語学(フィンランド語とスウェーデン語)を東京で学び始めるようになりました。語学を通してフィンランドへの愛はさらに深くなり、優しくて思いやりのある人々、18万あるといわれる湖と森で過ごす不思議な白夜の夏、ロジカルで文化的事象に精通しているユーモア溢れる友人、自由を尊重する教育、インスピレーション豊かなデザインやアート、不思議な神話、様々なジェンダー政策など、フィンランドの魅力にどんどんハマり、「フィンランドの友人に会いたい、フィンランドにかかわる仕事をしたい!」と思うようになり、フィンランド関係の仕事(観光局、航空会社)に就き、その後移住を決意。簡単に書くとそんな経緯です。

色々なところで何度か書いていますが、夫が生まれ育った村とわたしが何度も訪れたカイさんとエリナさんの家がある村は隣同士。十年以上前に、エリナさんが「近所にいる信頼できる車の整備士から車を買った」と話していた整備士こそ、現在の夫・ベンヤミンの父親でした。なんと狭い世界。夫と出会った時は、すべての導線がつながったような気さえしました。

カイさんの詩は日本語にも翻訳されていますが、わたしも一度、光栄なことにいくつかの詩を翻訳したことがあります。カイさんの詩を通して、フィンランド特有の美しさや切なさが少しでも伝わればと思い、二つの詩をここでご紹介します。

『Alan oppia(わたしは学び始める)』から

Yö on hiljainen kutsu.

Nukun ikkuna auki,

metsä tulee sisälle.

Harakka, ystäväni.

herätä minut kun on aika.

夜は静かな招待だ。

窓を開け放して眠ると

森が中に入ってくる。

友よ、

時が来たら起こしてくれないか。

***

TILAPÄINEN

se että kaikki maailmassa on tilapäistä ei tarkoita samaa kuin että kaikki muuttuu, että

maailma muuttuu, että pysyvää on vain muutos, miten se ilmaistaankin, muutoskin on

vain tilapäistä, pysyvyys tilapäistä, ja kaikki välttämätön vasta tilapäistä onkin, ruoka

muuttuu sonnaksi, juoma virtsaksi, ne ovat vain aineen tilapäisiä muotoja eikä siinä ole

eroa vegaanin ja lihansyöjän kesken, tilapäistä on kesä, tilapäistä talvi, tilapäistä lapsuus

nuoruus aikuisuus vanhuus, tilapäisyys on elämän edellytys: muutosta me pelkäämme, pysyvyyteen ikävystymme, tilapäisyydestä löydämme tarkoituksen

儚さ

世の中のすべてが儚いと言ってしまうことは すべては変化しているということと同じ意味ではなく それは変化しか不変なものはないということでもなく

どのように表現されようとも 変化もまた儚いものであり 不変もまた儚いものなのだ すべての必要な物事は儚いものだ 食べ物は糞になり 飲物は尿に

それぞれは物質の儚い存在にしかすぎず それにおいて 菜食主義者と肉食者の間には違いはなく 夏は儚く 冬は儚く 幼年期青年期壮年期老年期 すべては儚い

儚さはいのちの前提条件だ: 我々は変化を恐れている 不変には飽きて、儚さにこそ意義を見つけていく

写真・文 : 吉田 みのり

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