『雨雲の中に見つける希望の兆し』

北欧 フィンランドからの手紙

西日本で梅雨入りというニュースが流れた時、ちょうどフィンランド南部も連日雨だった。フィンランドには梅雨がないけれど、なんだか梅雨みたいに毎日雨。でも私は雨が好きだ。

あまりに雨が降り続けるので、フィンランド人の友達が「雨ばっかりで滅入っちゃうね」と言ったので、「でも、雨が降る前の森に行ったらカラカラに乾いていて可哀そうだったの。最近すっかり暖かくなったから、太陽の力が強くて、植物たちは水を欲していたから、今頃喜んでると思う」と言ったら「確かに植物たちには大切な雨だもんね!たくさん潤う良い機会だよね」と友達の顔が明るくなった。時に雨は、私たちにとって必要なものをもたらしてくれるものだ。

雨がどかっと降った後の街は、すっきりと洗われたように清々しい。

雨の休日、部屋でゆっくりとお茶を飲みながら猫さんと映画を観ると、心も身体も落ち着く。

雨の音に耳をすませると、小さな音楽が聴こえてくる。目を閉じて、小さな雫の生み出すメロディーに心寄せる。

「ポジティブであることとは、雨の中に立ちつくして雨など降ってないと嘯くことではない。それは雨雲の中にも希望の兆しを見つけることなのだ」という言葉に出会って以来、その言葉を何度となく心のなかで反芻している。

淀んだ空気が滞って、それが大きな渦になって、カタルシスのようにどかっと雨となり、不安やストレスを洗い流す。雨にはそんな効果があると思う。そしてその先には、今より豊かな何かが生まれる。

雨が数日振り続けた後の森はいつも以上に空気と水が澄んでいる。植物もきれいにすっかり現れて、森の栄養をたっぷり吸い込んですくすくと育っている。水かさを増した湖は光を受けて私たちに静かに微笑む。夏の歓喜、森にあり。摘みたてのブルーベリーは誰もが元気になれるくらい甘くて美味しい。雨があるからこその喜び、しっかり享受していきたい。

写真・文 : 吉田 みのり

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