#09:終わりと始まり。

スウェーデン ABCブック

なにかが始まるということは、なにかが終わること。スウェーデンでは6月は卒業のシーズンです。僕の周りでもいくつかの終わりのセレモニーがありました。 

まずは息子の保育園の卒園。パンデミックで園全体の卒園式はできませんでしたが、以前紹介した最年長の生徒で構成された「秘密クラブ」だけには特別な秘密のパーティーが催されました。なんと時間は18時から20時まで。園で夜更かし、という1日限りの特別イベントです。陽がたかく明るいとはいえ、夜に保育園に行くなんて!子供たちのテンションの高いこと高いこと。トビラ写真にあるとおり入れるのは子供達だけ。親御さんは柵の外にいてね、の張り紙が(パンデミックの影響もありますが、子供達だけの特別感の演出です)。こっそり教えてもらった話では、ウェルカムドリンクからはじまり、ミートボールのディナー、ケーキ、そしてミラーボールの下でのディスコテーク!などなど、だったそうで。 

息子は庭のお花をつんでブーケに。先生たちへのプレゼント。どんなパーティーが開かれたのかは、子供たちだけの秘密なので、写真もなし。。。 

そして、もうひとつは友人の娘の高校卒業。Studenten(ストゥデンテン)といって、運転免許や飲酒などなど、社会から大人としてみなされるようになる、一種の通過儀礼です。開放された若者たちが街のアチコチで騒ぐのをみると、ああ夏も近いな、とおもったり。 

Av Holger.Ellgaard - Eget arbete, CC BY-SA 3.0, https://commons.wikimedia.org/w/index.php?curid=10547408 

こちらが6月の風物詩「Studentflak」。卒業生がトラックをチャーターし、音楽をかけつつビールを飲みつつ街を走って回る、というもの。僕の写真ではないのは、今年はパンデミックでほぼ実施されなかったためです。 

友人宅の中庭でパーティーが開かれました。親御さんからの歌や手紙に親戚でもない僕がしんみり。8歳だったあの小さな女の子がもうこんな歳になるとは。 

それにしても夏に向けての開放感と、何かが終わり閉じていく寂寥感のアンビバレントな感覚は、日本で生まれ育った僕としては、やっぱり少し居心地の悪い感じがします。どう気持ちを整理すればいいのかわからない、というか。僕の知っている卒業式は、まだ肌寒さがのこり、グレーの景色の中での記憶。みんなでうたう歌も追憶が主題で、沈丁花は僕にとっては寂しい香りのひとつ。 

ところが一方で、スウェーデンの6月の卒業式は「巣立っていく」感覚がだいぶ強い。潮や花々が香り、樹々の緑は色濃く、空も抜けるように青い。後ろなど振り返らず、さあ、大きく翼を羽ばたかせて飛びたとう。そんな舞台がととのった感じ。まだみんなと一緒にいたい、と暖かい巣の中で追憶に浸るのではなく、開かれた世界に足を踏みだす準備ができたものからどんどん巣立っていく。実際に僕が学生生活を送ったフランスでもスウェーデンでも、友達たちが思い思いのタイミングで飛び立っていってしまう、学校や寮から姿を消していく、なんともいえない感覚がありました。 

さて、週末は息子の園の前(正確には園の隣にある郷土資料館の前)で、地元の人たちによる植物の苗の販売会がありました。トマトなどの野菜ほか、いくつかの樹の苗を購入しました。こういうところで買うと育て方などの情報交換ができていいですね。 

これらを使ってなにをするのか。我が家の夏のプロジェクトについてはまた来週にでも。ではでは、今回はこのへんで。 

おまけ

小規模なメッセ会場で、Covid-19のワクチンを打ってきました。

Take care. Noritake 

写真・文:アケチノリタケ
スウェーデン生活は、2007年の北極圏のキルナで、極夜のなか幕開け。月日は流れ、今はストックホルム郊外の群島地域で家族3人の生活です。クラフト、デザイン、ライフスタイルの分野を中心に、日本とスウェーデンの架け橋になるような活動をしています。互いの文化の同じ/違うところにふれながら、自分の輪郭がぼやけていくのを楽しむ日々です。
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