#18 真夜中の桟橋

インテリア

先週、僕にとって初めての体験が一つありました。この歳になると、24時間の大部分がルーティン作業と既視感ある事柄に埋め尽くされているように感じてきます。なので、ああこれは人生で初めてだ、という思いをその度ごとに意識しするようにしているのですが、今回はそのお話し。 

いよいよ寒くなってきました。最高気温が15度に届くか届かないか、空を覆う雲も厚い日が増えました。そんななかで回ってきたのがBåtvakt(ボートの監視)役。夏が始まるころ、前もってハーバーのメンバーに通達されているのですが、夏も終わりに近づき、ようやく僕の番です。 

高価だとばかりおもっていたヨットという乗り物が、中古で探せばけっこう手に届くものなのだ、ということに反して、外付けの船外機(モーター)は小さくてもそこそこにします。そして船外機は簡単に取り外せる。かくして、それを狙う不届きものが後をたたない、というわけでBåtvaktの出番です。 

こちらがぼくらのベースキャンプ。メンバーの会合などにも使われるクラブハウスです。メンバー有志による手作り。 

夏の間、毎夜2名の担当者が23時から朝5時までクラブハウスに常駐し、定期的にハーバーを巡回偵察します。ハーバーへの入り口にある遮断機、駐車場、3本ある桟橋とそこに止められているボートたち。これらに異常がないかを確認して回るのです。 

幸いにして月夜。とはいえ写真だからこそ明るく見えますが、肉眼では足元もおぼつかないほどの暗さです。 

23時の段階で気温は9度。かなり肌寒いです。ジーパン、Tシャツに革ジャンで十分かとふんでいましたが、ギリギリ。手袋があればよかった。鉄製の懐中電灯をもつ手が冷たい。かなりの暗さ。ひとけなし。マストとそこに張られたロープがぶつかるカチカチという音のみが耳に届く。怖くないかといえば、少し怖い。これが何度も足を運んだ場所でなければ相当に躊躇するはずですが、まあ大丈夫。むしろなんだか非現実的というか。 

桟橋のボートをそれぞれ見ていきます。この夏、彼女たちはみんなどんな思いを運んだのか。 

僕にとってヨットは、やっぱり父との繋がりを思い出させる対象。一緒にヨットを操ったというほどではないけれど。彼がヨットに乗るときのお決まりの服装、薄いパステルカラーポロシャツ、白のショートパンツにスリッポン。磯のかおり。缶ビールのラベルと笑い声。サザエの壺焼きの味。エトセトラ。 

我が家の彼女も確認。意味もなく乗ってみたりして、すこしぼんやりと。 

以前、スウェーデンの人たちは軽自動車に乗り込む気軽さでライフジャケットをはおりボートに乗る、と書いたけど、それでもやっぱり車とは違うところがあります。クラブハウスで過ごす長い夜、コーヒーを淹れ、本を読んだり、クロスワードパズルをしたり、それぞれがそれぞれの時間を過ごすとはいえ、こんな場所で人が集まればするのはボートの昔話。僕と監視員のペアを組んだ人は、実はこの界隈に住んでいない人でした。彼はもうすでに定年を迎えていて、曰くヨットはもう億劫だよ、としながらも、昔家族で過ごしたこのハーバーに今も小さなモーターボートを停泊させているのだと言いました。家の近くでもいいけれどやっぱりここに泊めたいんだ、と。そうして思えば、僕の思い出だけでなく、このハーバーに停まっているボートのそれぞれには、それぞれの特別な思い出があるのだ、と思わずにはいられません。車にだってそういうことはあるかもしれないけれど、夜の駐車場を見て、僕はここまでの非現実感を感じたことはありませんでした。 

そんな初めての奇妙な体験もそろそろおわりに。夜が明けていきます。 

今回はこの辺で。 

Take care. Noritake 

写真・文:アケチノリタケ
スウェーデン生活は、2007年の北極圏のキルナで、極夜のなか幕開け。月日は流れ、今はストックホルム郊外の群島地域で家族3人の生活です。クラフト、デザイン、ライフスタイルの分野を中心に、日本とスウェーデンの架け橋になるような活動をしています。互いの文化の同じ/違うところにふれながら、自分の輪郭がぼやけていくのを楽しむ日々です。
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