『現実は己の頭の中の偏見や先入観よりよっぽど面白い』

「北欧 フィンランドからの手紙」

ある日曜日、シェフ友達のポルトガル人カップル、カタリーナとジョゼを招待してディナーをした。

ふたりがヘルシンキで働くようになったのは2年ちょっと前のこと。それまではリスボンのミシュラン星のレストランで修業を積んできたそう。

たった2年の間に、随分と色々なことがあったよ、とふたりは話す。ポルトガル人のふたりは、腕も経験もあるのになかなか自分に合う職場にめぐり合えず、転々とさまよってきたそうだ。「誰かが何かの作業をしているときに、こうやった方が早くて上手にできるよ、と提案しても聞き入れてくれなかったりすることが多々あった」とカタリーナは言う。あるレストランでは、腹痛で1日休んだだけでズル休みだと疑って喧嘩腰で電話をかけてくる人もいたそうだ。職場にウマが合わない人がいるという経験は誰にでもあることだが、移民という立場で飛び込んだ世界だと困難は2倍にも3倍にもなり得るものだ。

「安月給で1日16時間立ちっぱなしの労働をしたり、自分のやり方を通したいと言って頑なにアドバイスを聞き入れないくらいだけなら我慢できたけど、フィンランド人同士でフィンランド語で私の話をずっと私の隣でしているのは我慢できなかった」というカタリーナの話を聞いて胸が痛くなった。

偏見や先入観はどこの国にもある。普段はそれに気づかない生活をしている人も多いだろう。それもそのはず、私たちはマイノリティの立場に置かれた時、偏見や先入観は鋭い刃を剥くのだ。

移民というだけで、当たり前のように少し低い立場に置かれたり、ネイティブと同じようにその土地の言葉を話せないというだけで、頭が悪いとでもいうかのように扱われたり。移民ということはそれだけで脆弱性の高い状況に追い込まれやすくなるということでもある。それは日本でもフィンランドでも、他の国でも日々起こり得ることだ。

私は欲張りなので、世界のあらゆることをできるだけ見たいと常々思っている。全部見ることも、半分見ることも到底かなわないけれど。でも、できるだけ自分の時間を有意義に使って、新しい言語に触れたり、存在すら想像していなかったものを知りたいと思っている。

「事実は小説よりも奇なり」という有名な言葉があるが、私の隠し座右の銘(そんなんあるのか、えへへ今作りました)は「現実は己の頭の中の偏見や先入観よりよっぽど面白い」である。偏見の中に留まることは、安心で快適だ。全て予想通り。ショックを受けなくても良い。自分の脳内に答えが全てあるってなんて気持ち良いことなんだろう。自分が知り得ないような他人の事情や考えやトラウマやアイディアなど、見えないもののその奥まで考えを及ばせることなく、自分が考えていることだけがさも唯一の現実であると思い込めることは、なんて気持ち良いことだろう。

でも私は欲張りなので、気持ち良さより面白さを取りたい。井の中の蛙としてスイスイと快適に泳ぐより、大海に飛び出して荒波に揉まれて、井の中では到底お目にかかることのないような巨大な生物や黄昏どきにサイケデリックな色に染まる空をこの目で見てみたい。自分が考えていることの外側にある、宇宙みたいに広くて複雑な人間の心を、現実を、世界情勢を、文化を、芸術を、知ってこの心で受け止めて、ぐぐっと打撃を受けて、驚愕して、知らなかったことを知れた喜びに身を震わせたい。これを繰り返した果てに叡智があるだろうかといえば、きっと私は永遠に愚かなままであろう。でも、私はとことん欲張りなので、偏見や先入観でガチガチに凝り固まった世界なんかに生きていたくないのだ。真実も本物も、何かは分からないけれど、決めつけることをしないで、ずっと見つめていたいのだ。偏見や先入観を頑なに持ち続けたことで、得する話なんてあるだろうか。どう考えても、人間ができるだけ手放すように努力したものがいいものの一つではないだろうか。人生ずっと、楽しみたい。見えないところに手を伸ばしたい。ふたりの話を聞いてそんなことを考えた日曜日の夜だった。


写真・文 : 吉田 みのり

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