『トーベ・ヤンソンの映画「TOVE」』

コラム1「北欧 フィンランドからの手紙」

先月、ムーミンの作者であるフィンランドを代表する画家、トーベ・ヤンソン(1914〜2001)のキャリアの過渡期を描いた映画、『TOVE』を観に行きました。父はスウェーデン系フィンランド人彫刻家のヴィクトル・ヤンソン、母はスウェーデン人画家で商業デザイナーのシグネ・ハンマルステン・ヤンソンという芸術家の両親のもとで生まれ育ったトーベですが、その人生は順風満帆なものだったわけではありません。

映画は、空爆を受けながら絵を描く幼いトーベから始まります。

4歳から30代前半までに、フィンランドではいくつもの戦争が繰り返され、その経験は彼女の人生に暗い影を落とし、また思想形成に大きな影響を与えました。1929年から1953年までに政治風刺雑誌のGARMに反戦・反ナチス・反ファシズムの風刺画を500点以上寄稿し、実名で署名をし続けたことはトーベを知る上で大切なエピソードの一つです。

駆け出しの頃は賞を逃したり、貧困ゆえに家賃が払えず、家賃の代わりに自分の作品を大家さんに受け取ってもらったり、また芸術家としての自信が持てないことも度々あったようです。
それに加えて、古い価値観を持つ厳しい父親との衝突や、仕事のストレス、つらい失恋なども。映画を観ていると、トーベの作家としての、そして人間としての困難や苦悩は、決して私たちの遠い世界にあるものではなかったようにも思えてきます。

映画の主役を務めるアルマは友達です。
私がフィンランドに来るきっかけになった古い友人の高校時代の同級生で、一緒にカラオケに行ったりしました(ヘルシンキにもカラオケたくさんあるのです!)。
アルマは2018年、トーベ・ヤンソン生誕105周年を記念して作られた、ヘルシンキの中心地にあるスウェーデン劇場の舞台『TOVE』で、50年代に生きる若かりしトーベ役を演じ、瞬く間にフィンランドを代表する有名俳優になりました。

舞台『TOVE』のお芝居の中では、ムーミンのアニメの契約のためにトーベは日本を訪れるのですが、そこでトーベに憧れる日本人アニメーターの女性が登場します。
この日本人女性役の役者の演技指導をするため、アルマの勧めで私もスウェーデン劇場で働くこととなり、お稽古や舞台の準備に呼ばれ、アルマや他の俳優たちと舞台で仕事をしたりしたのは今思い返しても不思議な経験です。

舞台のプレミアではスタッフだけの盛大なパーティーが催され、そこではトーベと彼女の生涯のパートナーであるトゥーリッキーが好んで食べたというロシアのそば粉のパンケーキ「ブリニ」とウイスキーがたくさんふるまわれました。
有志で作られたフェスト・コミテー(パーティー委員会)が『50年代のヘルシンキの知的階級』というテーマで作ったパーティーは、まさに映画でもたくさん登場する、トーベが愛したダンス・パーティーのようでした。トーベはプロでも通用するほどダンスが上手だったそう。映画の中でも「ダンス」は象徴的に挿入されています。

フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語の二つがあるのですが(サーミ語は準公用語)、とは言ってもスウェーデン語を母語で話す人は人口の約5%ほど。なかなか大手の映画館でフィンランド系スウェーデン語の映画が観られる機会はありません。私の夫はスウェーデン系フィンランド人なのですが、自分の第一言語である言葉で作られたフィンランド映画を映画館で観るのははじめてかもしれない、と話していました。この映画が日本で公開されるのを今から心待ちにしている人も多いのではないでしょうか。時を越えて世界中で愛され続ける作品を描いたトーベの人生を知り、彼女の作品に立ち戻ると、さらに物語への理解や絵に対しての観劇も深まることでしょう。




写真・文 : 吉田 みのり

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