『ロンドンで起こった女性への性暴力・殺害事件と#NotAllMen(ノットオールメン論法)がフィンランドでどのような議論を巻き起こしたか』

北欧 フィンランドからの手紙

ロンドンで3月3日から行方不明だった33歳の女性が10日に遺体となって発見された事件(その後ロンドン警視庁の現職警官などが女性の誘拐と殺人の疑いで逮捕された)をきっかけに、英国、欧州、そして世界中で「なぜ女性が一人で街を歩くことがこんなに困難な現実があるのか」と怒りを表し、ジェンダーにまつわる社会不平等の是正を求める声が再び湧き上がったのは3月中旬のことだった。

この事件を受け、男性から女性に対して日常的に繰り返される性暴力が蔓延る社会構造についての想いを、多くの人がソーシャルメディアなどを通して綴った。その中でも、スポーツトレーナーのLucy Mountainさんの投稿は世界中で最もシェアされたものの一つとなった。わたしのフィンランド人の友人も、何十人、何百人とシェアしていた。

Lucyさんが訴えた内容を訳したところ、予期せぬことにTwitterで話題となった。

多くの女性が今抱えている気持ちを考えると、うまい言葉が見つからない。(ロンドン南部で帰宅途中に行方不明になり、殺害された)サラ・エヴェラードさんのことばかりをずっと考えている。一人の女性が家まで歩いて帰ることができなかったことを。耐えられない。

そして自分自身と他の女性との間に深い繋がりを感じた一週間でもあった。一生を通して、過剰なほどの自己防衛をしてこなければならなかったことについて会話をしたり。深い繋がりを持つということは一つの恐怖でもある。

私たちは皆、現在地をシェアしたことがある。

私たちは皆、靴を履き替えたことがある。

私たちは皆、  指の間に鍵を挟んで歩いたことがある。

私たちは皆、  本当だろうと、フリだろうと、電話をかけたことがある。

私たちは皆、  コートの中に髪の毛を仕舞ったことがある。

私たちは皆、  暗闇を走ったことがある。

私たちは皆、逃げられる順路を頭の中で考えたことがある。 

しかし、これらの行為をしたところで「特別な安全対策」だとは感じられない。このような行為や行動は、私たちが幼い女の子だった頃から学び取ってきた、植え付けられたものなのだ。なぜなら、「そういうものだから」。

「家に着いたらメッセージちょうだい(キスキスキス)」と女性たちはごく当たり前にメッセージを送りあう。自動操縦モード。

もっと多くの男性たちが、私たちがヘッドフォンをつけて夜道を歩くことができないことを知ってくれたら。

Uber(タクシー)に乗る際に、「これでおしまいかもしれない」と度々感じてしまうことを。

「ただフレンドリーなだけだと思うよ」とあなたが言うたびに、あなたは問題を悪化させているということを。

男性の集団とすれ違うたびに、鼓動がちょっとだけ速くなってしまうことを。

路上でセクシャル・ハラスメント(性的嫌がらせ)を受けた時に、そいつに向かって叫んだとしても、私たちは私たちの安全をまたしてもギャンブルにかけてリスクを背負わなくてはならないことを。

女性への嫌がらせをやめなさい。

被害者の女性を非難するのをやめなさい。

男性の行動に対して、その責任を女性に向けるのをやめなさい。

女性が帰宅する、それだけのこと。当たり前のことなのに。

訳してTwitterに載せただけなのに、多くのコメントがきた。「私も同じ経験をしてきた」という女性の声もあれば、「外国に比べて日本は平和だ」という声もあった。そして、「すべての男が悪いわけじゃない(いわゆる「Not All Men論法」と呼ばれるものを繰り返す)」というものも。訳しただけでこんなにコメントがきたということは、Lucyさん自身にもたくさんのコメントやメッセージが来たことだろう。

「Not All Men(ノットオールメン)論法」とは性的暴力の被害者に対して、その趣旨である問題提起を聞き入れずに「冤罪かもしれない」「すべての男性が加害者というわけではない」と表明することで、性的暴力(主に男性から女性に対してのものが大半を占める)の根幹やダイナミクスを究明したり、性暴力や性的嫌がらせが蔓延る社会構造自体を問題視せず、本来社会構成員のすべての人が責任を持って取り組むべきである社会問題の責任の所在から「一部の加害男性と女性の問題であって、一般男性の出る幕ではない」と自分たちを蚊帳の外に追いやってしまう、いわば責任逃れ・被害者への二次被害を招いてしまう論法かつ思考様式だ。

痴漢やDVなどの性暴力の問題について考えなければいけない場で、「すべての男性が加害者ではない」と言ってしまうこと・考えてしまうことは、目的を自己保身や犯罪の矮小化にすり替えてしまい、被害者の女性の声をかき消し、本来の目的をないがしろにしてしまう効果を持つ。結果として、歪んだ社会構造の助長に間接的に加担していることとなる。「女性と一部の異常な男性の問題」または「お酒を飲んでいた・薄着をしていた・深夜に出歩いていた女性側の問題」と、自分ではなく他の誰かの問題だとみなし、問題にすら取り上げない時点で、性犯罪が起きる社会構造や不健全で不平等な現状がある世の中から目を逸らし、その構造に対して補完勢力として働いているということを、世界中のフェミニストは指摘している。

事件を受け、ジャーナリストのSuzanne Harringtonさんは以下のように記している。

Yes actually, yes all men. Yes, all men are part of the problem. Yes, all men need to own it, and take action. Yes, all men are complicit in rape culture unless they are actively calling out rape culture. Not all men are rapists, obviously, but most rapists are men. Not all men are catcallers, harassers, intimidators, murderers, but the massive majority of those who perpetrate these crimes and behaviours are men.

以下は訳。

実際は、そう、すべての男性たちです。そうです、すべての男性は問題の一部になっているのです。そうです、すべての男性が自分たちの問題だと捉えて行動しなければならないのです。そうです、レイプカルチャーを自発的に訴追しない限りは、すべての男性がレイプカルチャーに加担していることとなるです。すべての男性がレイピストではないことは明らかですが、ほぼすべてのレイピストは男性です。すべての男性は路上でキャットコール(主に女性に対して路上で行われる野次や性的嫌がらせ)をするわけでも、嫌がらせをするわけでも、威嚇するわけでも、殺害するわけでもないですが、このような犯罪に手を下す人や行動をする人の非常に大きな割合は男性が占めています。

事件を受けて、私の暮らす国フィンランドでも多くの男女がこの社会構造について問題提起することの大切さをソーシャルメディアに投稿したり、メディアの記事として取り扱っていたが、その中でも特に話題となったものの一つは写真家、俳優、ミュージシャンであるJarno Jussilaさんが書いた文章だった。

以下は訳。

男性よ、問題の一部ではなく、解決の一部になりなさい。

我々は女性が常日頃から絶え間なく嫌がらせや威嚇、性的暴力に遭う社会に生きている。この世界は女性たちにとってクソみたいに(原文ママ)危険な場所となっているが、それは男性たちのせいだ。この状況を改善するのは僕たちの責任でもあるのだ。個人的には誰のことも傷つけたことがないとしても、これは僕たち全員の責任なのだ。女性に対しての嫌がらせを静かに見て見ぬフリし続けることこそが僕たちを問題の一部にしてしまっている。そしてそれこそが女性に性的被害を与え、しまいには女性を殺害する社会構造を維持させることにつながる。

#ノットオールメン、と言いたい気持ちもわかる。けれど女性たちにとってみれば、誰が危害を与えてくるかわからないのだ。だからすべての男性を怖がるようになる。だからこそ我々、つまり女性が怖がるようには男性を怖がらなくても良い我々男性こそが、この状況を改善するよう自発的に動いていく必要があるのだ。犯罪に手を染めるような悪い男性は変化を求めて動いたりはしないのだから。

我々ができる最低限のことは、もし嫌がらせに気づいたら助けに入ること。間に入って大丈夫か「女性に」訊くこと。助けを呼ぶこと。他の人々をその場に巻き込むこと。警鐘を鳴らすこと。警察に通報すること。このような当たり前ことがもっと行われるべきなのだ。

そして女性への度重なる嫌がらせの行動に気づくことを学ぶことが大切だ。例えば、男性同士の集団で性差別的(セクシスト)な発言をすることは決して無害なジョークなんかではない。響きは悪いかもしれないが、そういう発言こそが現存するレイプカルチャーの一部であり、女性を下位に置いたり、女性に嫌がらせをしたり、女性をレイプをしたり、女性をないがしろにしたり、被害者である女性に二次被害を与える(被害者を責める)場を作り上げることに加担しているのだ。そのような「ジョーク」を飛ばすこと、それこそがミソジニー(女ぎらい、女性蔑視)を当たり前のものにしてしまい、強固なものにしてしまうのだ。この行為や考えが、男性が女性に何をしても許されるという思い込みを生んでいるのだ。

もし性差別的なジョークを耳にしたら、男性が声を挙げること!全然おもろくない。っていうかマジでダメだからそれ。

何か行動を起こすことこそが大切なんだ。何の行動も起こさない、これこそが我々を問題の一部にしている。

公の男性がこの件について女性にではなく、男性全員に対して声を挙げたこと、そして「問題の一部ではなく解決の一部になれ」として具体的な行動の例を挙げたことは、フィンランドの多くの人々からも支持の声が上がり、称賛を受けた。願わくば、このような発言をし、行動を起こす人が後を絶たないこと。そしてこのような議論がジェンダーを問わずに巻き起こり、一刻も早く変化が訪れることを待ち望んでいる人は、世界にはたくさんいるはず。

わたしたち一人一人が自発的に行動を起こさない限り、社会構造は変わらず、犠牲者は増え続ける一方だ。問題の一部ではなく、解決の一部になっていこう。

写真・文 : 吉田 みのり

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