『セラピーみたいな不思議な空間、Café Comèteでの魔法がかかった夜』

「北欧 フィンランドからの手紙」

以前出演したラジオ『B.Y.O.B.』のパーソナリティーも努めるオウティが主宰する『Café Comète(カフェ・コメット)』に招待され、不思議な一晩を過ごした。

Café Comèteの仕組みは、参加したい人はメールを送ったりしてその趣旨を伝え、主宰であるオウティとヒルマがその中から10人をピックアップして月に1回ディナーの場を提供するというもの。「男性ばっかりのシガー・クラブを見て、女性が主宰しても良いんじゃないかと思った」と赤ちゃんのいるソムリエのオウティは話す。

この数日後にコロナの規制で6人以上の集会が禁止となったのだが、この日は10人以下なら認められていたため、参加者は8人。ある一室に呼ばれ、暗い玄関口で知らない人たちと挨拶をした後、手紙を渡されてルールをもう一度把握する。

知らない人だけど、同じ時と同じ場所に揃ったということが運命。

このコメット(彗星)のようなひと時を、一緒に楽しみましょう。

美味しいディナーとワインを用意しているので、たくさん飲んで楽しんで。でも一人一人が安心できる空間にしていきましょう。

カーテンを開けると、ばら色の服を着た二人がローズ・ネグロニを手渡してくれた。「ようこそ!」

まるで、夢の国に来たよう。

その空間は、明るくて暖かくて素敵だった。

今回のメンバーは俳優が2人、ジャーナリストが1人、ラグジュアリーブランドの会社に勤める人が1人、キュレーター志望の学生が1人、DJやイラストレーターなどマルチに関わる人が1人、シェフ兼ソムリエの人が1人だった。

知らない同士が集まる会とはいえ、その場に来てみたら知っている人がいた、ということはこの小さな街なら避けられないこと、と主宰者の2人が書いていた通り、私もDJの人はフィンランドに住む前から友達の友達で知っていたし、シェフ兼ソムリエの人も会うの初めてだけどお互いに名前や顔は知っている存在の人だった。

俳優同士も知り合いだったし、のちにわかったことだったけどジャーナリストの人も、私の仲良しのカップルと大の仲良しの人だった。ヘルシンキは、やっぱり狭い。

最初の数時間は相手の様子を探り探りという感じの会話と雰囲気だったけど、お酒が入って、それぞれが安全で、魅力的で、様々な考え方を持っている面白い人たちだと気付いてからの私たちの盛り上がりといったらなかった。

政治の話、文学の話、仕事の話、恋愛の話…話題は尽きることなく、笑いあり涙あり。なんだかセラピーの場みたいに、魂が浄化されているのがわかった。初めて会う人ばかりなのに。

みんなの面白い話がたくさん聞けた夜だったけど、心に残った話を二つ。

一つ目は、ラグジュアリーブランドの会社に長く勤める女性の話。靴が大好きで、天井が高い部屋に住んでいるけれど、その高い天井に届きそうなほどの靴を集めていると笑って自己紹介してくれた。

彼女は3歳の時、ユーゴスラビア紛争で住む場所を失い、難民としてフィンランドに家族でやってきた。フィンランドで育ったからフィンランド語が第一言語だけれど、セルビア人というアイデンティティもある。そんな彼女が大人になって、お母さんに焼け残った家から命からがらフィンランドまで持ってきたものを聞いたところ「ポストカード、先祖代々伝わるレシピのノート、家族の写真アルバム」だったという。

難民としてフィンランドにやって来て、言葉もシステムも価値観も分からず苦労した親を見て育った彼女は「モノ」にとことんこだわるようになったという。「美しい靴や服は、私の命。全然ものがない家に育ったからこそ、さらに強く欲しがってしまう。でもきっと、もし自分の家が火事で燃えてたら、家族のアルバムを一番に救おうとしちゃうんだろうなぁ」と話す彼女の人生を一瞬でも垣間見ることができた自分の人生を幸福に思った。人間ってなんて美しいんだろう。この話いつか小説にしたいです。なんて酔っ払った私は思っていた。

二つ目は、お父さんがバイカーギャングのリーダーで、ギャングの仲たがいが契機となって自分の目の前で殺されてしまった女性の話。彼女はその時、7歳だったという。今でもフィンランドの人にギャングの名前を言えば、大抵の人は「あー、あの犯罪集団ね」と心ないことを言われてしまうという。

けれど、最近YLE(フィンランドの国営放送)で彼女のお父さんの人生について扱ったドキュメンタリー番組が制作され、放映されたそう。制作側は家族(つまり、彼女やお母さん)の心情を考慮し、事実関係などを綿密に調べて、間違いのない番組を作ろうという姿勢を見せてくれたそうで、彼女はその心遣いに非常に感謝していた。そして、いざ番組を見てみればー 番組は、お父さんが悪い組織のリーダーであったということよりも、カリスマ性があって、パンクバンドを組んでいて、音楽家として才能があったということに重きを置いていたという。それを見た彼女はようやく安心して、自分のお父さんの違う一面に誇りを持ち、また自身もアーティストとして進んでいく自信の糧を見つけたと話していた。

宴は夜更けまで続いたそうだが、私は翌朝、早朝から仕事があったので切り抜けた。そうはいっても深夜1時半だったけど。

セレンディピティ。ひとことで言ってしまえば、それだけだけど、なんてすてきな夜だっただろう。こんな空間を作り上げてしまう、オウティとヒルマの妖精みたいな存在感がまた世界を美しく彩っている。そんな世界に浸れたことが、とても幸運な夜だった。



写真・文 : 吉田 みのり

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